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長いこと、facebookに旅していました。ブログとFBはちがいますね。個室のブログ、大部屋のFBといった感じです。時おりFBは囁くように書かなければいけないときもあります。ブログは勝手きまま、どちらもそれなりに良さも悪さもあります。
今年、来年と仕事の合間をぬいながら制作に集中し、発表する予定です。同時に思索のスケッチブック「知恵熱1.0」の再開を決めました。もの好きな方、またよろしくです。 #
by zuankousakuin
| 2015-04-08 09:54
長い間、ブログの扉をしめたまま。行方不明になっていたわけではありません。昨年からフェイスブックに入ってしまい、そちらで知恵熱をコンパクトにした形で、リアルタイムで進めております。「美術の時間」や「サウナで考える」なども掲載中。よろしかったらfacebookで覗いてみてください。なお、ブログはこのまま休眠ですが、近い内にリニューアル、あるいはfacebookとの連動で動き出そうかと思っています。下記のFBにて開店中。
https://www.facebook.com/yutaka.katayama #
by zuankousakuin
| 2012-06-19 16:17
| 四方の話
描いた後に気になる部分というのがある。その気になるところは素人、玄人、老若男女関係なしに気になるようだ。これはデザインでも同じだ。しかも、やがてそれは何か気づくところになったりもする。
気になるにもいろいろある。「変」だが、その「変」もよしとし、変のまま置き去りにすることもある。必ずしも気になるものイコール不満や不調和、不備ということでもない。従って、気になるものを全て消すから良いかと言えばそうでもない。ちょいとこんがらがりそうだが、気になるところを残さなかったことを、気にかけること多々ある。 いやいや、そんなことはない。気になるものとは完全でないものであって、つまり忘れ物、取り除くべきである。と言う人もいる。人それぞれである。 さて当方、気になるところを比較的残すタイプである。それがよいかどうか、今もってわからない。気にすること自体がまだまだか、無の境地ってのは難しいもんと俗人は思う。アートってえのはどうも面倒な世界だ。惚れた弱味か。 #
by zuankousakuin
| 2011-09-20 19:45
| 四方の話
このところブログが一時休眠状態でした。別段、何かあったわけでなく、単にfacebookをはじめだして、そちらにいろいろ書いたりのせたりしていたためでした。何か書こうかと思うとついリアルタイムでビジュアルも載せやすく、レスポンスのよいfacebookの方を優先してしまった結果です。ちょっとブログがかわいそうだなと思いつつもここ2か月ばかりはそんな状態が続きました。
この知恵熱も書き続けて4年以上にもなります。よくもまあ、だらだらと益にもならないことを書き続けてきたもんだとわれながら関心。最初は日頃の思索を整理するために明文化するのが目的でした。それによって、そこから自分の作品を制作する上で見えてくるものがあるかもしれない。なんて、スケベココロではじめたのが「知恵熱1.0」です。 Facebookでは書けないことや、伝えにくいこともあります。ブログにはブログの良さがあるようなので。ちょっと蔑ろにしていた「知恵熱」くん。より思索度を上げて壁打ちを強化していきます。来月からは装いも新たに「知恵熱2.0」をはじめます。 #
by zuankousakuin
| 2011-08-21 14:31
| 四方の話
「人為的ミス」この言葉が気になった。最近の報道の中で使われていたせいだろうか。あるいはこのところ頭に浮かんでいたピカソ、ピカソにはミスがあるのだろうかということを考えていたせいだろうか。
人為的ミスそのものであるぼくが、このことについて話すには勇気と自己正当化を伴いそうだ。例えばの話からはじめよう。 糸が絡んだように繋がっているパイプがある工場、その中に立っている。どのバルブを閉めたり開けたりしていいものやらわからない。設計した人もなにがなにやらわからないだろう。はたして操作を間違えた!ミスはどこにあるのだろうか。バルブに手をかけた人、機械やシステムを作った人、それともそれ自体。 自然界にミスはあるのだろうか。ミスとは枠を決めた者(人)だけに起きる予期せぬ結果なのではないだろうか。まっすぐに伸びなかった木、流れを変えた川、木から落ちた猿など。自然はミスとしてそれらをカウントするのだろうか。鹿やうさぎが森を抜けて目の前にダムが現れても彼らはダムとはわからないだろう。そこには、ただ大きな白い岩場という「自然」があるだけだ。彼らの不幸は「不自然」が認識できないということだ。いつしか人もこの「不自然」が認識できなくなる時が来るかもしれない。 もうひとつ頭の中に浮かんだ「人為的ミス」の言葉に反応したのがピカソだった。 ピカソには失敗した線や色、形があるのだろうか。描いていてよろけて走った線もきっと取り込むかもしれない。顔を横切る線も意味を変えてしまうのかもしれない。普通の人が失敗、ミスであるものを変容させてしまう。彼自身の中で枠というものの存在を消そうとしているからだろう。 天才には、ミスすらないのだろうか。失敗も成功も凡人が欲する二元論にすぎないのだろうか。枠をつくろうとすればするほど、増えた分のミスがつくられていくような気がする。 つまらないミスもつまらないが、ミスをつくるシステムは、もっとつまらない気がする。 #
by zuankousakuin
| 2011-06-27 14:22
| 四方の話
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