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トリフォーが50時間にも及ぶヒッチコックへのインタビューをまとめた「定本 映画術」を遅ればせながら読んだ。厚さと同じくらいの充実感をもって本を閉じた。長きに渡って視覚表現を歩んできた自分だが、改めて見るとは、伝えるとはを再考することができた。 かえって今、読んで良かったのは多くのヒッチコック作品がデジタル化されており、本で取り上げている作品のほとんどをDVDやネットで見ることができた。その意味では二人の会話に多少なりとも参加することができた。特に以前は見る機会が限られていたサイレント時代のものは、ヒッチコックの演出やアイデアが正に視覚言語であることを堪能できた。 それにしても二人の映像への分析能力には頭が下がる。元々批評家でもあったトリフォーはまるで解剖しながら、電子顕微鏡を覗き、またメスを握るといった感じでシャープに切り込んでいく。受けて立つヒッチコックもよけることなく返す。この本自体がサスペンスに満ちていた。 ヒッチコックとトリフォー、共に知を捨てる知を持っている。そしてそれを感性に移行させる度胸も持っている。 何よりも、言葉にはできないものがあり、それを視覚表現が"言い換え"てくれることを二人は知っている。
by zuankousakuin
| 2016-10-10 10:09
| 美述の時間
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