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仕事の関係上、観光地に行くことがある。そこで出会う風景は絶景、風光明媚といわれる場所であったりする。旅に出れば、人はよい景色を見てみたいものだ。好き好んでつまらない風景を見る旅をしたいという人はいないだろう。漫然と続く何もない風景であっても、雑然とした風景に囲まれている都会人にとってはこのうえない絶景ともなろう。
夕焼けに映える山々。太古の海の底を思わせる大地。郷愁をそそる町並み。どれも絵はがきのように「いい景色」だ。ひどい表現になると日本人は外国にいても「まるで外国みたい」ということになる。 それにしてもこの「いい景色」ってやつはいつできたのだろうか。最初からあったわけではないだろう。だれかが見つけ、すばらしいと言ったのだろうか。名所旧跡ともなれば歴史が景色を色づけていったのであろう。 人類が生まれて間もない頃、絶景はあったのだろうか。大地を割るような渓谷が続く中を歩く古代人にとって、景色を楽しむということはあっただろうか。楽しむとはどこかに安心、平和を含んでいるはずだ。どんなに怖いジェットコースターでも安全で安心して終えることができるという前提があって楽しむものだ。 古代では日常の中で猛獣や他の部族が襲ってくるかもしれないと思いながら生活していただろう。余裕を持って景色を見ることは今の時代より少なかったにちがいない。 何よりも景色は生きるために知らなければならない情報を発する源であったはずだ。 すばらしい景色とは畏怖を伴う異形の地ではなかったのだろうか。短絡ながら美人が一種の異形であるなら自然の異形も絶景ということになるのだろうか。 また、古代人がどこか風景を切り取るということがあったとしても、フレームという概念はなかっただろう。我々現代人が絶景なる景色を前にしたとき、頭のどこかでフレーミングをしている。視野を停止させようとしている。日々の膨大な「四角」に慣れてしまったせいだろう。現代は見渡せばレゴのように四角ばかりの世だ。 古代人の竪穴住居から見える風景は丸かったもしれない。不定形に囲まれた風景だったかもしれない。木々の隙間に見える景色は縞々だったかもしれない。 広がる景色、閉じ込められた景色。網膜に映る残像としての景色の感動にはフレームはないのだろう。意味を持ったとき、自然や距離には関係ないところに絶景はありそうだ。
by zuankousakuin
| 2009-03-23 17:26
| 美述の時間
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